目次
復刻記事
2009年9月25日からちょうど10年前。
1999年9月25日。
この日は、永遠に忘れることのできない日。
福岡ダイエーホークス、パ・リーグ優勝。
あの日は、幸運にも福岡の街にいて喜びを共有できた。
その年、福岡に行ったのはその日、たった一日だけ。
だから、ホントに大切な日。
丸10年を機に、以前公開していたホークス優勝コンテンツをこのblogで再公開。
以下、文は書いた当時のままで。
1999年9月25日。
この日は、永遠に忘れることのできない日。
福岡ダイエーホークス、パ・リーグ優勝。
あの日は、幸運にも福岡の街にいて喜びを共有できた。
その年、福岡に行ったのはその日、たった一日だけ。
だから、ホントに大切な日。
丸10年を機に、以前公開していたホークス優勝コンテンツをこのblogで再公開。
以下、文は書いた当時のままで。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勝負の世界は終わりなく果てしなく続く
しかし チャンピオンフラッグのそのまばゆい姿は
永遠に脳裏に焼き付けられた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
待って待って待ち続けたこの日
勝つことだけを信じ続け 訪れた日
闘いへの悲喜こもごもの積み重ねが
歓喜の時を街に連れてきた
1999年9月25日、優勝決定の瞬間を見ようと
福岡の各所でファンが大勢集まった。
この写真は天神のソラリアステージビルにて。
吹き抜けのどの階からも、ファンがモニターを取り囲む。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
10年たっても優勝しなかったら
ファンをやめるつもりだった
でも 気がつけば
試合の度ホークスの勝利を祈る自分がいた
そう簡単にあきらめられるわけがない
選手たちと同じ
ゴールに向かって走るだけだから
ソラリアステージ1Fの大画面モニターにファンは釘付け。
普段は西鉄福岡駅につながる階段にびっしり人が座り
熱心に一球一球を見守る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勝つか負けるかだけならば
うれしいのと悲しいのとは半分ずつ
しかし 両方に共通することは
人知れずもがき苦しんだ結果のかたち
強さはひとつでは生まれない
ひとりだけでも強くなれない
欲しかったのは 強くなるチーム
こちらはソラリアプラザ入口前。
7回裏、小久保のホームランで同点となった場面で、
島田コーチとハイタッチ。観客も沸いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1999年9月25日
福岡ダイエーホークスは
球団創設以来初めての優勝を手にした
前身の南海ホークスから数えて26年ぶり
そしてかつて福岡に本拠地を構えた
西鉄ライオンズ以来36年ぶりに
栄光と再会した
8回裏、井口のホームランでついに勝ち越し!
ファンのボルテージもMAX寸前へ。
この後、9回表を篠原-ペドラザが抑え、
ホークスの優勝が決定!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
すごくうれしかった
やっと願いがかなった喜びからか
いや それ以上に
数え切れない人の輪の中で
一緒に同じ喜びを感じている
自分も同じ輪の中にいる
みんなで味わう ひとつの喜び
ソラリアステージビルでは、用意していたくす玉が割られ、
集まったファン全員で万歳三唱…
って言っても三唱どころじゃ終わらなかった(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
終わりなき喜びにすべてをまかせた夜
見上げれば輝く星が
選手たちの偉業を照らし出した
それを見て
なおも爆発する喜びを宙に投げ返した
あの日のすべてを永遠にした
試合が終わっても、
福岡ドームの外でのファンの歓喜の叫びは
終わることなく続いた。
ドームの他、福岡市内のあちこちで
歓喜の輪、人の集まりができていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
西鉄福岡駅には優勝決定後、早くもこのような看板が。
ホークスの応援に、福岡の街すべてがひとつになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1999年10月28日
福岡ダイエーホークスは4勝1敗で日本シリーズを勝ち抜き
日本一を達成した
勇気をありがとう
色褪せることのない勇気を
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2000年4月30日、ホークス優勝への道標を与えてくれた故根本陸夫氏に、このページを贈ります。
2009年9月25日、blog向けに再掲しました。
勝負の世界は終わりなく果てしなく続く
しかし チャンピオンフラッグのそのまばゆい姿は
永遠に脳裏に焼き付けられた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
待って待って待ち続けたこの日
勝つことだけを信じ続け 訪れた日
闘いへの悲喜こもごもの積み重ねが
歓喜の時を街に連れてきた
1999年9月25日、優勝決定の瞬間を見ようと
福岡の各所でファンが大勢集まった。
この写真は天神のソラリアステージビルにて。
吹き抜けのどの階からも、ファンがモニターを取り囲む。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
10年たっても優勝しなかったら
ファンをやめるつもりだった
でも 気がつけば
試合の度ホークスの勝利を祈る自分がいた
そう簡単にあきらめられるわけがない
選手たちと同じ
ゴールに向かって走るだけだから
ソラリアステージ1Fの大画面モニターにファンは釘付け。
普段は西鉄福岡駅につながる階段にびっしり人が座り
熱心に一球一球を見守る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勝つか負けるかだけならば
うれしいのと悲しいのとは半分ずつ
しかし 両方に共通することは
人知れずもがき苦しんだ結果のかたち
強さはひとつでは生まれない
ひとりだけでも強くなれない
欲しかったのは 強くなるチーム
こちらはソラリアプラザ入口前。
7回裏、小久保のホームランで同点となった場面で、
島田コーチとハイタッチ。観客も沸いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1999年9月25日
福岡ダイエーホークスは
球団創設以来初めての優勝を手にした
前身の南海ホークスから数えて26年ぶり
そしてかつて福岡に本拠地を構えた
西鉄ライオンズ以来36年ぶりに
栄光と再会した
8回裏、井口のホームランでついに勝ち越し!
ファンのボルテージもMAX寸前へ。
この後、9回表を篠原-ペドラザが抑え、
ホークスの優勝が決定!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
すごくうれしかった
やっと願いがかなった喜びからか
いや それ以上に
数え切れない人の輪の中で
一緒に同じ喜びを感じている
自分も同じ輪の中にいる
みんなで味わう ひとつの喜び
ソラリアステージビルでは、用意していたくす玉が割られ、
集まったファン全員で万歳三唱…
って言っても三唱どころじゃ終わらなかった(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
終わりなき喜びにすべてをまかせた夜
見上げれば輝く星が
選手たちの偉業を照らし出した
それを見て
なおも爆発する喜びを宙に投げ返した
あの日のすべてを永遠にした
試合が終わっても、
福岡ドームの外でのファンの歓喜の叫びは
終わることなく続いた。
ドームの他、福岡市内のあちこちで
歓喜の輪、人の集まりができていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
西鉄福岡駅には優勝決定後、早くもこのような看板が。
ホークスの応援に、福岡の街すべてがひとつになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1999年10月28日
福岡ダイエーホークスは4勝1敗で日本シリーズを勝ち抜き
日本一を達成した
勇気をありがとう
色褪せることのない勇気を
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2000年4月30日、ホークス優勝への道標を与えてくれた故根本陸夫氏に、このページを贈ります。
2009年9月25日、blog向けに再掲しました。
補足(2023年4月30日復刻)
当時球団社長であった根本陸夫氏の命日である4月30日に復刻するしかありませんでした。
福岡ダイエーホークスとして初めてリーグ優勝・日本一を果たした1999年。
まさにこの時期からホークスが上昇気流に乗り、優勝までたどり着いた時期でありました。
パ・リーグ優勝を決めた1999年9月25日は土曜日。
パブリックビューイングも街中で気軽にできた頃で、写真のとおり西鉄福岡(天神)駅入口のビジョンに人だかり。
ダイエーが球団を買収して大阪から福岡へやって来た当初から、
ダイエー店舗を中心にホークスが徐々に浸透していく様子は肌で感じていたものの、
こうして多くの人がホークス優勝を喜ぶのを共にできるのは感激もひとしおでした。
ダイエーから福岡ソフトバンクホークスへと球団名も変わり、
現本拠地の福岡PayPayドームも開業から30年が経過。
今や福岡といえばホークスと呼ばれるほどの知名度と人気。
これからもこの街にホークスありと呼ばれる日々でありますように。
ホームページ的なテキストサイズや色の編集のまま、今回は復刻しました。
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