礼を尽くして「ありがとう」とあなたに伝えたい

2008年6月27日北九州市民球場での王貞治監督
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復刻記事本文(2008年9月24日)

一昨日の仕事帰り、地下鉄のホームで「今日はありがとうございました」と深々と頭を下げる若いサラリーマンを見た。
恐らく上司かお世話になっている目上の人に対してだろう。飲み屋に連れてもらった後だったのかもしれないし。
でも、降りる人が次々と改札に向かう途中で流れを止めるなんてって、その時はちょっとムカついた。

昨夜、ソフトバンクの笠井オーナー代行が王監督に続投要請すると明かしたと報道された。
王監督の体調、9月に入ってのチームの失速、昨年オフに王監督が「来年(今シーズン)限り」と名言したということ、…歯車が回りだした気がした。

そして今日(9/23)、王監督がホークスの監督を今季限り辞任すると発表。
試合終了後記者会見が行われた。

「50年、いい野球人生でした。50年間1つの道にこれだけどっぷりつかって、心をときめかせて68歳までやれたことはとても幸せでした」

(日刊スポーツより抜粋)


(ここからは人間・王貞治に敬意を表して「王さん」と呼ぶことにする)

TVでは就任会見の映像もVTRで紹介された。
福岡ダイエーホークス(当時)を常勝チーム作りにすべく現場の指揮を託した前監督の根本さん、
福岡の地に常勝球団を作るため、王さんの監督就任に尽力した当時のオーナー中内さん、
発展途上だったチームを最高の目標へ導くべく、ともに握手を交わした二人が、いまこの世にはいない。
それだけ14年の月日は長い。

就任当初の低迷からリーグ優勝・日本一を果たし、かつ常勝チームの名を現実のものにした監督としての実績にも感謝するが、それ以上に「ホークスで監督をし続ける」ことが、どれだけの楽しみ、安心感を与えてくれたことか。今となって強く強く感じるばかりだ。

ホークスがプレーオフで西武に敗退した2004年オフ。
ダイエーが球団を手放すのは避けられぬ事態であった中、王さんはチームある限り指揮を執る姿勢を示し続けた。無言でチームを、選手を守り抜く姿勢を見せた。
もしその姿がなかったなら、親会社が替わると共にどんな激変がチームに起こったか。
監督交代はおろか、選手たちは散り散りバラバラ、下手をすれば福岡から再びプロ野球球団が無くなっていたかも知れない。(福岡に球団保有するという約束があったと当時報道があったが、そんなものいくらでも反故にできるってものだ)
当時は特に何も感じなかったが、今になって思えば背筋が寒くなる。

こうして守り抜いてきた言葉なき気持ちを、球団を買い取ったソフトバンクが受け入れ、かつ王さんの言葉に耳を傾け、さらなる強いチームにすべく、また野球の振興を進めるべく球団運営を行ってくれた。何より王さんに礼を尽くしてくれた。
ソフトバンク球団には心から感謝したい。
笠井オーナー代行の言葉は、王さんへのささやかどころではない気配りの表れ。
続けても辞めても礼を尽くして王さんの決断を受け止めるという姿勢の表れ。すばらしいと感心するばかりだ。

数々の報道にふれてわかるように、王さんは気配りの人。
自分が身を引くために一年前から準備しなければいけない、そのぐらい大変な立場。
選手、球団首脳および関係者、ファン、支援してくれる人々、すべての立場の人に誠意をもって語り、応対する。
特に福岡という街はもはやホークス無しに語れない街でもあり、王監督が辞めることによる影響は計り知れないものがある。
ホーム最終戦を控え、辞任発表をする最後のタイミング。
自らファンにあいさつをするために用意された最後のタイミング。
辞めるのは残念だし、リーグ優勝で花道を飾れないのは悔しいし、その場を与えてあげられなかった選手とファンの力不足がもっと悔しい。
でも、王さん自身がファンに向けて話をしてくれる。これは嬉しい。

そして、ふと一昨日地下鉄のホームで見た若いサラリーマンの姿を思い出した。
あの、斜め45度よりももっと深いお辞儀をして見送った姿を。
「ありがとう」という言葉は、これまで限りなく使ってきたけれど、中でも強く尊敬を込めた「ありがとう」ってどれだけ言ってきたのかな、と。
野球ファンとして野球を観る楽しみや、ホークスファンとして味わうことのできた優勝の喜び。これらを「ファン=あなた」の二人称(私に向かって話してくれていると勝手に解釈して)で与えてくれた王さんに自分は何も返事をしていないような気がして。

だから、明日は言いたい。これまでの感謝と、偉大な実績を残した尊敬の念と、
それと、同じ「野球が好き」という思いとを、礼を尽くしてあなたに伝えたい。
王さん、ありがとう。
ホークスファンとして幸せな14シーズンでした。
本当に、ありがとう。
私も感謝と気配りを忘れず、そして礼を尽くせる人でいられるよう日々大切に過ごしたい。

記事を振り返って(2023年5月5日復刻)

※読みやすくするため、適宜改行を入れました。

アイキャッチに使った写真は、王さんがホークス監督最終年の北九州市民球場での試合前。
一塁側ベンチに立ってセレモニーを見守る姿です。
球場の様子や選手は1試合でも数えきれないほど写真に収めるのですが、
王さんの写真はホントに撮ってなくて…

だってテレビ中継でもアップで映るし、当時は何かしらお見掛けするのが当たり前だったから。

さて、この2008年シーズン、ホークスは開幕戦で柴原選手が逆転サヨナラ3ランホームランを打って5連勝を飾るなど最高のスタートを切りながら、夏に行われた北京オリンピックを境に失速。
王監督が指揮を執った最後の試合、10月7日で敗れなんと最下位でシーズンを終了。
王さんがホークスの監督在任14シーズンでリーグ優勝・日本一はもちろん、セ・パ交流戦の優勝の上ペナントレースでは1位~6位まですべての順位を経験しているのですが、まさか最後の年が最下位になるとは。

その最後の試合は宮城で行われていたためドームのパブリックビューイングに足を運んだのですが、
何とも言えない寂しさ、悲しさが残りました。

野球人として福岡へやってくるという一大転機から、選手バスに生卵を投げつけられることも味わいながら熱心に選手を育て上げ、常にチームの先頭に立ち続けた王さん。
2023年現在も福岡ソフトバンクホークスの会長職を務め、その姿を見せてくれています。

野球が好きなのでしょうけど、ずっと最前線にいられるってすごいなあ。
それだけで、現役時代・監督時代と変わらず、いやそれ以上に王さんをリスペクトしています。

この監督退任が発表された翌日に本拠地ヤフードームの最終戦が行われたため、福岡のファンに最後のユニフォーム姿を見せることとなった王監督。
観戦し見送ってきたレポートは別記事で復刻します。

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2008年6月27日北九州市民球場での王貞治監督

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